今村祐嗣のコラム
ピットと水
日本木材学会は今年で創立50 周年を迎えいろいろな記
念行事が企画されているが、学会誌も記念号を刊行する
ことになり木材学の関連分野から総説特集をお願いした。
その中で、国際農林水産業研究センターの安部 久さん
が木と水分について興味深いことを紹介されている。一
つは、樹木の大きさを決定づけるのは何かという根源的
な課題について新説を提案した最近のネイチャー誌の論
文で、それは強度的な要因より水分生理学的な理由によっ
て樹木のサイズが決定され、樹木の先端まで水分を輸送
する必要性が影響しているという内容であった。二つめ
は木材中の水分移動の通路となる細胞壁のピットにある
壁孔膜のはたらきに関するサイエンス誌の論文内容で、
水分中の塩分濃度が濃くなると水を透しやすくする機能
を有するというものであった。
樹木において根から吸い上げられた水分(樹液)は幹
の辺材細胞を通って上昇し枝や葉に供給される。細胞か
ら細胞への通路にあたるピットの壁孔膜はトールスとい
う弁をぶらさげた特異な構造をしていて、それがニュー
トラルの位置にあれば水分が隣り合った細胞間を容易に
移動し、水が無くなると弁でピットの口に蓋をしてその
細胞だけを隔離する。このようすは木材の教科書によく
示されているが、このコラムの筆者も大学院生時代に壁
孔膜の微細構造を研究テーマとしていて、網目状の壁孔
膜の精妙なつくりにはいまだ樹木の不思議さを感じてい
る。
木材の乾燥は細胞の中に入っている水分を如何に外に
出すかという点で、また、逆に防腐剤の注入などはどの
ようにして内部に薬液を浸透させるというところで、通
路となるピットが重要な役目を担っている。辺材部分は
乾燥しやすく、薬液も注入が容易なのはこのピットの弁
が開きやすいためであり、また樹種によって心材の乾燥
性や薬液注入性が異なるのはピットの口への弁の固着度
の違いに起因している。針葉樹の場合、このピットは一
つの細胞あたり数十個、場合によってはそれ以上備わっ
ていて、そのほとんどが細胞の先端部、すなわち上下方
向に隣り合う接点に存在する。したがって、部材の側面
より木口から薬液が浸透しやすいのは先端部のピットを
経由する移動が主体であることによる。
精妙なつくりの壁孔膜がピットの口を塞ぎ、その塞ぎ
方が堅固であったり、樹種に特有の成分でも沈着すると
薬剤の注入はきわめて難儀になる。スプルースやカラマ
ツの注入が難しいといわれるのはそこに原因がある。こ
れらの難注入性の木材に内部まで薬剤を注入するため
色々な取り組みが行われてきた。インサイジングはその
代表的な手段であり、部材の側面に細胞の木口切断面を
一定の深さまで人為的につくり、それを数多く分散させ
て浸透性を確保しようというものである。また、汎用化
には至っていないものの、最近、木材の側面から圧縮の
力をかけてピットのみを破壊する方法も実用化されてい
る。
樹木の精妙なつくりにわれわれがどのように対処して
いくか、乾燥と注入という古くてかつ今日的な技術には
まだまだ多くの課題が残されている。